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卑弥呼は本当に実在したのか?学校では教えてくれない謎に迫ってみた! 

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卑弥呼は本当に実在したのか?学校では教えてくれない謎に迫ってみた!
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突然ですが、みなさん学校で習った卑弥呼ひみこを覚えていますか?

はい!覚えています!邪馬台国の女王様です!

レベッカ

多くの人がその名前は聞いたことがありますよね。

では、具体的にどんな人物だったのかわかりますか?

え~と・・・

レベッカ

おそらく、こんな答えになってしまいます。

歴史大好きな歴女という言葉も出てきたくらい、何故か興味を持ってしまうのが古代日本ですね!

謎が多いと余計に知りたくなってしまいませんか?

わかりました。では今回は謎多き王女卑弥呼について調査してみましょう!

著者

卑弥呼の人物像って?

私たちが知っている、日本史に登場した人物の多くは謎が多いですよね。

その中でも、卑弥呼は謎だらけです!

そのため、現在でも様々な論争が繰り広げられています。

ちなみに、卑弥呼の経歴について調べてみると、このようになります。

著者

  • 名前:卑弥呼
  • 時代:弥生時代
  • 出生地:不明
  • 没年:不明
  • 享年:不明

まさに謎だらけの女王ですね!

実は、卑弥呼に関しての歴史的資料があまりにも少ないのです。

そのため、卑弥呼の存在そのものまで議論になってしまうのではないでしょうか?

これじゃあ、調査できませんね~

レベッカ

う~ん、1つだけ手掛かりがあるとすれば、それは弥生時代のようだね!

著者

卑弥呼と魏志倭人伝

卑弥呼がいたとされる弥生時代には、日本にはまだ文字というものがなかったので、日本の書物に卑弥呼の記録がなかったのかもしれませんね。

しかし、中国の魏志倭人伝の中で卑弥呼の存在が残されています。

魏志倭人伝は学校の教科書にも出てきた覚えがある方も多いと思いますが、忘れちゃたという方のために、一応説明しておきましょう。

魏志倭人伝【ぎしわじんでん】

3世紀末,西晋の陳寿が編纂(へんさん)した中国の史書《三国志》のうち,魏に関する部分を《魏志(魏書)》と呼び,その〈東夷伝〉中にみえる倭人の条を魏志倭人伝と通称する。日本に関する最古の中国側文献として史料的価値がきわめて高い。当時の日本(倭)には邪馬台(やまたい)国という国があって女王卑弥呼(ひみこ)が治め,30ばかりの国を従えて威をふるっていたことや,倭国の政治・外交・社会秩序・風俗・習慣・産物等が約2000字にわたって記されている。(引用:百科事典マイペディア

この魏志倭人伝に初めて登場したのが、卑弥呼と邪馬台国というキーワードです!

魏志倭人伝をザックリ説明すると、当時の日本(倭)には30くらいの小さな島があって、その中心部が邪馬台国と思われているだよ!そこを治めていたのが卑弥呼だったと書かれているんだね。

著者

卑弥呼と同じように、邪馬台国にも「日本のどこにあったのか?」「実際にあったのか?」などと、謎は多く論争が繰り広げられていますよね。

でも、日本の古事記や日本書紀には、卑弥呼や邪馬台国の名前が出ていないことも、多くの人をワクワクさせている要因の一つではないでしょうか?

邪馬台国?卑弥呼を知る手掛かりがもう1つ見つかりましたね!

レベッカ

では、卑弥呼が女王になった邪馬台国について調べてみましょう。

邪馬台国ってどんな国だったの?

卑弥呼がいたたとされる邪馬台国は、一体どのような国だったのでしょうか?

ここでおさらい!紀元前4世紀頃から紀元後3世紀頃までの600年間が弥生時代であると学校では教わったなあ~

著者

日本が倭国わこくといわれていたこの頃、本格的な農業が始まった時代が弥生時代です。

稲作が盛んになって、人口が増えるといくつかの村が出来て、それぞれの村には力のある代表者がいました。

そして、村を強く大きくするために村同士の争いが繰り返され力の強い村は、力の弱い村を従えて、政治的にまとまりを持ったいくつかの国が、それぞれの王を中心に各地に生まれました。

ただ、国を大きくするためには、単に強いだけではなく外交が上手く、国の人々を1つにまとめる力も王には求められたのではないでしょうか。

この事柄は、中国の歴史書に1世紀の中頃倭の国王が漢に使いを送り、皇帝から漢委奴國(国)王かんのわのなのこくという金印が与えられたと書かれています。

ちなみに金印はこんな感じです!今で言う実印のようなものかな。

著者

(画像引用:https://blog.goo.ne.jp/taitouku19/e/a2c395a2e70cba38415362b22bb40f3d

弥生時代の倭国(日本)は邪馬台国を含め、30ほどあったので男性の王がいた時代が70~80年くらい続きました。

70年以上王座を巡っての争いが続くと、当然倭国が乱れて混乱してしまいます。

今で言う政権争いってこの頃からあったみたいですね。

レベッカ

ただ、邪馬台国があった場所については、九州説、畿内(現在の奈良県)説があり特定はされていません。

そして、3世紀の初め頃、争いに疲れた王たちが話し合い次の王にしたのが、女王卑弥呼です!

初めての女性の王である卑弥呼が誕生すると、それまで争いばかりだった国が平和になったようです。

女王卑弥呼誕生

中国の魏志倭人伝によると、「倭国は争いがたえなかったが、邪馬台国の卑弥呼を王にしてようやくおさまった。」そして、「卑弥呼は魏(中国)に使いを送り、貢物のお返しに親魏倭王しんぎわおうの称号や金印と銅鏡どうきょう100枚などが与えられた。」とあります。

これは?確かこの当時の魏という国は、日本よりはるかに大国だったはずだが・・・

著者

そんな大国であった魏の王様に、「卑弥呼は日本の王!」と認めさせるなんてスゴイですよね。

魏の王様に大金をあげたとか?女性だったから可愛くおねだりしたとか?

レベッカ

あくまで個人的な意見ですが、卑弥呼が王に即位したのは、30歳半ばぐらいと推測されていて、当時の平均寿命からするとそんなに若くはなかったのかと思います。

簡単に言えば、「私が王となった倭(日本)を1つの国と認めて下さい。」と魏(中国)に手土産を持って行き、交渉は成立し倭(日本)という国の王は卑弥呼と認めた証として金印を貰ったということですね。

卑弥呼が魏に送った使者が、貢物として何を送ったか、卑弥呼のことをどのように紹介したのか。真相はわかりませんが、とても聡明で外交力にすぐれていたのではないでしょうか。

では、邪馬台国の王になった卑弥呼は、どのように国をまとめていたのでしょうか。

王になった卑弥呼

王になってからの卑弥呼について、魏志倭人伝にはこのように書かれています。

卑弥呼は鬼道に仕え,よく妖をもって衆を惑わし,その姿を見た者はまれであった。一生夫をもたず,政治は弟の輔佐によって行なわれた。武装した兵士に警備された壮大な宮室を営み,常に 1000人の婢にかしずかれ,取り次ぎは居室への出入りを許された1人の男によって行なわれた。(引用:コトバンク

現代文にすると、3つのことがわかります。

  • 卑弥呼は鬼道(おまじない)を使って、人々にアドバイスをしていた。

ちょっと待って!卑弥呼って占い師みたいなことをしていたの?

レベッカ

鬼道とは、神や霊と更新したり、神を自分の身に降ろしたりできる術のようなものかな。

著者

当時の人々は、天気や疫病など自分の力では解決できない事を不安に思っていたため、卑弥呼のお告げのような言葉に頼っていたのかもしれませんね。

現在の教科書には、卑弥呼を倭国の女王になった巫女と説明しています。

これも諸説ありますが、神に仕える女性という解釈をする方も多い理由ではないのでしょうか。

  • 1000人もの召使をつかい、宮殿の奥深くに住んでいた。

卑弥呼が暮らしていたと思われている建物は、宮殿の奥で厳重な警備が敷かれていたそうです。

ただ、人前には姿を見せる事はなかったので、1000人にお世話係がいたとされていますが、実際に卑弥呼の姿を見ることは出来ませんでした。

卑弥呼に宮殿に、入ることが出来たのは弟とされる男性1人だけだったと伝えられています。

卑弥呼さんは人見知りだったのかしら?

レベッカ

  • 結婚はしていなかったので、弟が卑弥呼のサポートをしていた。

卑弥呼は生涯独身だったので、親族は弟だけでした。

その弟が卑弥呼のお告げを、人々に伝えて国をまとめていたと考えられています。

姿を見せず、神のお告げだけを弟に伝えさせた卑弥呼は、神秘的な存在だったのでしょうね。

実は、これが卑弥呼は本当は天照大神あまてらすおおかみなんじゃないかという論争になっているんだ!

著者

天照大神?と思った方はこちらもご覧ください。

そして、卑弥呼の死後大きな塚がつくられ、100人余りの奴隷が一緒に生き埋めになったそうです。

その後、男性が王になりましたが、人々が反対したので卑弥呼の一族の娘とされる13歳の壱与が王になり国が安定したとされています。

卑弥呼に関する資料が多く残されているという事から考えると、卑弥呼はやはり実在したという事なのでしょうか?

卑弥呼は実在したのか?

(画像引用:https://ameblo.jp/tskrtskr/entry-12013957758.html)

ここれだけ卑弥呼のことが書かれている文書があるんだから、卑弥呼は実在の人物っていうことでいいですよね?

レベッカ

結論を出すのは少し早いようだよ!実在したという根拠に謎が多すぎるんだ!

著者

では、多くの人が卑弥呼が実在したと信じているのはなぜでしょうか?

  1. 邪馬台国の王になった卑弥呼は、学校の教科書にも載っていて、授業で習ったから。
    中学の教科書にも、邪馬台国・卑弥呼については載っているので、卑弥呼の名前を知っている人は多いですよね。
    教科書に書いてあることを、疑う事はあまりないでしょう。
    しかし、研究者の中には、卑弥呼に関しては教科書には乗せるべきではない!とおっしゃる方もいらっしゃるのも事実です。
  2. 魏志倭人伝に、卑弥呼の存在が明確に書かれているから。
    中国の歴史書の魏志倭人伝には卑弥呼や邪馬台国の事が、詳しく書かれています。
    しかし、日本書紀には神功皇后が卑弥呼であると明記されているので、卑弥呼の存在が現在でも謎です。
  3. 卑弥呼が居たとされる、住居跡の古墳から魏から与えられた、青銅鏡せいきょうどう100枚が見つかったから。
    青銅鏡100枚が出土したのは、奈良県の黒塚古墳くろづかです。
    青銅鏡があったという事は、ここが邪馬台国だった可能性は高いが確証はなく、邪馬台国の畿内説きない(奈良県大和地方)九州説(福島県、大分県など)の論争がくりひろげられています。
  4. 吉野ケ里遺跡から卑弥呼の宮殿があったから。
    吉野ケ里遺跡は多くの集落があり、その中央には敵の襲撃から守られるように、卑弥呼の宮殿が作られています。
    邪馬台国と卑弥呼の謎に引き付けられた人が、現在でも多く訪れる場所です。
    ここが邪馬台国だったという説が濃厚だが、卑弥呼の墓も金印も発見されていない。

この他にも、卑弥呼が実在したという根拠は数多くあります。

しかしながら、決定的な証拠がないため、長い間謎包まれているのでしょうね。

早く専門家が遺跡を掘り起こせば何か見つかるのんじゃないの?早く発掘しましょうよ。

レベッカ

歴史的な発見がありそうな遺跡を発掘するのは、専門家だって難しいんだよ!許可も取れないし・・・

著者

でた!大人の事情!

レベッカ

卑弥呼は実在したのか?

結論は、日本の記録に残っていないというのが不思議ではありますが、卑弥呼は実在していました!

これはあくまで、個人的な結論です。

考古学の技術が進んでいる現代、専門家ではない私たちは、謎多き女王卑弥呼が、弥生時代の邪馬台国に実在していたという新たな発見がある日を、ワクワクしながら待っているのも楽しみの一つなのかもしれませんね。

まとめ

いかがでしたか?

卑弥呼が実在したのか?それともしていないのか?を調べているうちに、わかったことがいくつかありました。

  • 卑弥呼は生まれた場所も、亡くなった年齢も不明。
  • お墓も発見されていない。
  • 生涯独身だった。
  • 日本の記録には卑弥呼らしき人物の、記録はあるが卑弥呼という名前ではなく、巫女という職業の女性だった。
  • 卑弥呼が存在していたという、証拠はないのに多くの人が卑弥呼を知っている。
  • 実際に見たことはないけど、美人だと言われている。

これだけ見ても、卑弥呼という女性に興味が沸きますよね。

古代の日本には謎が多いのは、現代の私たちが過去に戻って確かめる事が出来ないので、逆に神秘的に感じるのかもしれません。

大人が古代のロマンに夢を見るのも面白いですね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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