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マヤ文明の謎に迫る|なぜ人類滅亡説の予言は外れたのか?

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2012年12月21日に、人類は滅亡します!!

センセーショナルな言葉に踊らされ我々ミステリー好きにとっては、とても印象深い出来事だったのではないでしょうか?

連日のようにテレビなどでも取り上げられ、普段ミステリーとは無縁の生活をしている人にとっても強烈に記憶に残る出来事だったはずです。

私もそんな恐ろしい事がこの現実に起こるわけがないとは思いつつ、実際の所予言の日が近づくにつれて妙にそわそわしてしまったりと当時は色んな想像をして楽しい日々でした。

前から思っていたけど、本当にミステリーが大好きなのね。

レベッカ

私はミステリーな事だったら、何でも大好物さ!

著者

しかしやはりそんな恐ろしい事が起こるはずもなく、予言の日を我々地球に住むものは無事に生き残ることが出来ました。

1999年のノストラダムスの大予言の人類終末説に続き、2012年のこの世界中の人を巻き込んだ人類終末説はマヤ文明で使用されていた暦から導き出された予言の一つです。

ではどのようにして人類終末予言を導き出したのか?

今日はマヤ文明と終末説について、調べていきたいと思います。

マヤ文明とは?

まずはマヤ文明の、基本的な知識から調べていきましょう。

マヤ文明は中央アメリカのグアテマラから、メキシコのユカタン半島までの非常に広範囲で発展しました。

現在は4400カ所以上の遺跡が見つかっており、今後も引き続き調査され新しい遺跡が続々と見つかっていくでしょう。

また紀元前1000年頃から、1500年頃まで実に2500年もの長い間存在し続けたことも特徴の一つです。

紀元前1000年以前にも古代文明は存在していましたが、生活の水準は低く紀元前1000年ごろから広い範囲で土器を使い始めるようになったことでマヤ文明と明記されるようになりました。

特に力を持ち隣国への影響力なども強かったのは、300年頃から900年頃とされています。

さらにマヤ文明の特徴として以下の物があげられます。

  • 自然環境が場所によって違い、文明の起こる場所に必ずあるとされる河川が存在しないところがある。
  • 小さな都市が各地に点在し、統一国家は生まれなかった。
  • 非常に高い知能や技術力を持っていた。

それでは、詳しく説明していきましょう。

水の確保は容易だった?マヤ人の高い知識と技術力

一般的に文明が発展する場所には、大きな河川があるのが特徴です。

地球上で生活するものにとって水を手に入れるということは、生きていくうえで一番重要になるのです。

現在の人類の生活の成り立ちの基盤になっている、有名な4大文明にもそれぞれ近くには大きな川が流れています。

四大文明と川の関係

四大文明とは?

現在の歴史上で分かっている最初の文明で、これ以降この四大文明の流れを汲んでこの社会が出来上がっていると考えられている。

  • エジプト文明:ナイル川
  • 黄河文明:黄河流域
  • インダス文明:インダス川
  • メソポタミア文明:チグリス・ユーフラテス川

このようにそれぞれの文明は、有名な河川の流域から始まっています。

しかしマヤ文明においては、近くに河川のない地域にも都市が形成されていきました。

水の確保は生きていくのに最重要課題と先程も言いましたが、この河川の無い地域に暮らしていたマヤの人々は一体どのようにしていたのでしょうか?

マヤの人々は雨水を貯水する、という技術を手に入れました。

しかも雨を確実に手に入れるために国中に天文台を作り星の運行を観測し、マヤ歴という独自のこよみをいくつも作り正確に雨季を把握できるようにしたのです。

マヤ暦の種類
ツォルキン:一周期を260日とする

ハアブ:一周期を360+5日とする

カレンダー・ラウンド:ツォルキンとハアブの一周期の最小公倍数18980日

長期暦:メソアメリカ文明で使われ始めた超長期の暦(出来事がいつ起きたかきちんと把握できるので、マヤ文明でも頻繁に使われていました。)

これにより彼らは様々な技術をさらに身に付けていきました。

より高度な天文学の知識

太陽・月・金星の動きなどから一日の時間や、一年間の日数をかなり正確に導き出していました。

望遠鏡などは当然無い時代なので、観測は肉眼で行っていたようです。

雨季や時間など生活に必要な情報を得るだけではなく、日食や月食などの研究も盛んに行われていました。

マヤの作った暦の一つであるハアブ歴は、一年365日と太陽暦に最も近いものなんだ!

著者

貯水・運河・ダム・堤防などの水利事業が発展

持ち前の高い建築技術も合わさり雨水などの貯水のほか、雨季に降る尋常ではない量の雨を排水・遊水地への流し込みのための運河網も作ったとされています。

また農耕をおこなうための灌漑(畑に水を供給するための技術)事業も発達し、周辺の土壌の状態も良質でした。

しっかりと機能するように造られたから、相当な人の手と時間がかかったんでしょうね。

レベッカ

そうなんだ!でもきちんとしたものが出来たので他にも副産物を手に入れる事が出来たんだよ!

船の往来ができるような立派なものだったから交易も可能になったし、作った運河には魚などの生物も増え漁業なども出来るようになったんだ!

著者

マヤの人たちの、生活の幅が広まったのね!

レベッカ

マヤ文字の複雑な体系

現在資料として残っている文字は、国が栄えていた300年から900年頃までの物が大部分となっています。

しかし確認されている一番初期の文字でもすでに暦で使われている完成されたものなので、実際にマヤ文字が確立されたのは紀元前後であると考えられています。

マヤ文字は、非常に複雑です。

マヤ語を表すマヤ文字という象形文字は、『形態素』と呼ばれる文字を構成する最小単位(文字の素数版)が、大きい文字素の周りにくっつき表記されることで構成しています。

まるで花びらの様ね!

レベッカ

現在確認しうる文字素は約800種類、文字としては実に4万語以上あるのです。

僕そんなにあるんじゃ、覚えきれないよ・・・・。

バケオ

学者たちも実に長い間解読するのは不可能だと半ば諦めていましたが、長い歴史の中には必ず謎に魅入られる人が出てくるものです。

マヤ文字の解読に大きく貢献したのはソビエトの軍人ユーリ・クロノゾフと、アメリカの建築家タティアナ・プロスクリアコフという女性です。

現在では約80%のマヤ文字が、解読済みとなっています。

 

以上マヤ文明の、高度な知識と技術力について調べてきました。

無いものは作ればいいという柔軟な発想で必要不可欠な水を確保し、また川が無く密林地帯にも都市をつくり敵から身を守る事によって文明を長く守ることが出来ました。

では今度はそんなマヤ文明の闇の部分に、的を当てていきたいと思います。

マヤ文明の儀式~高い知識と技術力の陰に隠れた闇~

マヤ人には変わった風習がいくつかあります。

頭を長く伸ばす?

幼少期に子供の頭を二枚の板で挟んで、ひもで縛り変形させるという風習がありました。

細長い頭部であるということは、貴族であることを知らしめる目的もあったようです。

『マヤブルー』の使用用途

マヤ文明独自の物として『マヤブルー』と呼ばれる、鮮やかな青色染料の使用があげられます。

しかしこの染料を儀式の生け贄の体に塗る、という不思議な風習があります。

雨乞いの儀式などに使われていたとされていて、青色と水を関連付けていたのでしょうか?

命がけのサッカー

マヤの風習の中に、サッカーに似たスポーツがあります。

「ピッツ」と呼ばれていたそのスポーツは、娯楽ではなく儀式の位置づけでした。

諸説ありますが負けたチームのキャプテンは、生け贄として神に捧げられていたとされています。

 

他にも儀式として人間を当たり前のように、「生け贄」として神へ捧げていた文明でもあります。

このような時代背景から、現在でもマヤ文明を良く思っていない人も多くいる事は事実です。

高い知識と技術を持っていても、このような事をしていた時代背景には賛同出来ないところはあるわね!

レベッカ

国を守ろうと必死だったのかもしれないけど、他の方法は考えられなかったのかと思ってしまうよね。

著者

マヤ文明の謎~なぜ滅んだのか?~

マヤ文明の大きな謎の一つとして、滅亡した原因が不明であるということがあげられます。

もちろんいくつか理由は考えられますが、どれもはっきりしないというのが事実の様です。

マヤ文明が最も力を持っていた300年から900年以降徐々に衰退し、その後1600年頃には完全に消滅したとされています。

現在純粋なマヤの血を受け継いだ人、というのは存在していないんだ!

著者

マヤ文明が消滅するに至った原因として考えられるのは、以下の出来事です。

  • 外部からの攻撃によるもの
  • 内乱によるもの
  • 奇病の流行
  • 気候変動による干ばつ

その時代の地質を調べた結果滅んだとされる時代に、大規模な干ばつが起きていたということが分かりました。

水不足により主食であったトウモロコシが収穫できず食糧難になったことで暴動が発生し、国を捨てる者や命を落とした者が多く滅亡へと傾いていったというのが現在の一番の説です。

そのほか布教活動に熱心だった宣教師により迫害されたという説や、そもそもそんな高い知識や技術力はその時代の人間に持てるわけがないということで「マヤ人宇宙人説」というのもあります。

それだけマヤ文明に、魅力を感じている人が多いということだね!

バケオ

マヤ文明の予言~2012年人類滅亡!?~

さて基本的な知識を一通り調べてきたところで、本日のメインディッシュにいよいよ入っていきましょう。

マヤ文明を一躍有名にした2012年人類滅亡説ですがどういった内容なのか、またどのような経緯で予言が世に広まったのか調べていきたいと思います。

マヤ文明人類終末予言

マヤ文明では、いくつもの暦が使われていると最初に説明しました。

その中の一つである、長期暦に人類終末説のカギが隠されていました。

では『長期暦』とは一体どのような暦なのでしょうか?

長期暦は、1日であるキン、20キンの「月」であるウィナル、18ウィナルの「年」であるトゥン、更に20トゥンを1カトゥンとし20カトゥンを1バクトゥンとする単位で構成される。石碑に長期暦の日が刻まれたり墓の壁画に長期暦の日付けが刻まれたりしていると、その日を特定できるため、歴史学上又は考古学上の貴重な資料となる。マヤ研究者は通常バクトゥンから順に「.」で区切って算用数字で長期暦を表す。

(引用:ウィキペディア

どうしよう・・・全く理解できないよ!

バケオ

確かに理解するのが、難しいわね!

レベッカ

そうなんです。

私たちが困ったときの味方のウィキペディアでも、理解に苦しむ事ってあるんですよね。

人類終末説に関係する部分だけ本当に簡単に説明すると、以下のようになります。

長期暦から導き出した人類終末説の期日
長期暦の始まりはメソアメリカ文明の頃紀元前3114年8月11日とされている。

長期暦は各時代の出来事がいつ起こったのか、しっかりと分かるようになっているのでマヤ文明でも良く使われていた。

丁度2012年12月21日は長期暦の始まりから13バクトゥン(約5200年)を迎える日、ということで人類終末説として広まってしまった

もともとマヤ文明の予言として、世界は長期暦の一周期(13バクトゥン:約5200年)ごとに新たな時代を迎えるとなっていました。

そして2012年12月21日に第五の太陽の時代が終わったその後の記述がなかったことにより、世界はそこで終わりを迎え人類は滅亡するのだと世界中に広まっていったのです。

日本だけで言えばオカルト関連の本やテレビなどで取り上げられたことによって、どんどん話題性があがっていったよね!

著者

自己の終末に向けての覚悟と意識を、少しづつ無意識にでも高めていっているのね。

レベッカ

マヤ文明の人類滅亡予言はなぜ外れたのか?

そもそもマヤの残した文章では、2012年12月末に人類滅亡とは言っていないのです。

人類終末説は一部マニアの人が作り出した根拠のない話だと、マヤの血を継ぐ人もその後テレビなどで証言しています。

また何度も出た長期暦についても実は『バクトゥン』よりも大きな単位が存在しているので、一周期は5200年よりもさらに長い周期であるという見方もあります。

一部の説では周期の無い、長い暦とも言われている位なんだ!

著者

しかもマヤの碑文には「2012年12月21日(13バクトゥン)が終わりを迎えた時、それまでの時代を終わらせるものが登場し次の時代に入っていく。」という内容が残されているのです。

第5の太陽の時代で、終わっていなかったのね!

レベッカ

その他にも2012年12月24日以降、第6の時代『月の時代』になるという事も書かれています。

太陽(をコントロールする)の時代から月(宇宙)の時代への移行だなんて、もしかしたら予言は当たっているのかもしれないね。

著者

人類は今、地球外への探査に乗り出しています。

次の5200年(13バクトゥン)は『月の時代』、マヤの予言通り宇宙についての調査が順調に進んでくれるように祈っています。

まとめ

今回は世界中を騒がせた、人類終末説について調べてみました。

ありがたいことに実際には人類が滅亡するなんて恐ろしい事は起きる事はありませんでした。

しかし人間の先への不安や非日常の出来事に対しての気持ちを、うまい具合にコントロールされてしまった出来事でしたね。

当時滅亡するから全財産使ってしまったとか、仕事辞めたんだとかって話もあったよね。

著者

必要な情報を自己でしっかりと取捨選択して、充実した人生を送りたいものです。

また私としてはマヤの残した次の『月の時代』、どのようになっていくのか楽しみに過ごしたいと思います。

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