地底都市シャンバラは実在するのか?たどり着いた人物は?その謎に迫る

理想郷の伝説は世界各地にたくさんあります。
桃源郷やユートピア、アトランティスなど名前を聞いたことがあるものも多いのではないでしょうか。
日本でも沖縄や奄美地方にニライカナイと呼ばれる異界の理想郷の伝説が残されています。
地底都市シャンバラもその理想郷の伝説の一つです。
理想郷と同義の言葉の一つに「シャングリラ」というものがあります。
イギリスの小説家ジェームズ・ヒルトンが書いた小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前で、そのシャングリラの語源となっているのが「シャンバラ」なのです。
これからその理想郷シャンバラの謎について迫っていきます。
著者
シャンバラの意味とは
シャンバラはチベット語で「幸福の源(に抱かれたところ)」という意味です。
ヒンドゥー教、仏教での理想郷とされ、文献や教典にその名前が登場しています。
また、チベットの民族宗教である「ボン教」の教典の地図には、イスラエルやバビロニアなどの古代国家の都市名と並んでシャンバラが記されています。
そのため、シャンバラが実在すると考えている人たちが昔からたくさんいるのです。
著者
宗教上のシャンバラ
ヒンドゥー教におけるシャンバラ
元々シャンバラの名称が登場するのはヒンドゥー教の「プラーナ文献」というもので、そこで既にシャンバラは理想郷として記されています。
ヒンドゥー教には三大神がいますが、その中のヴィシュヌという神が10の化身(アヴァターラ)となり、人間界に現れるという伝説が残っています。
ちなみに「アヴァターラ」は「アバター」の語源です。
著者
カースト制度を立て直すために「カルキ」という最後のアヴァターラが現れましたが、このカルキこそがシャンバラの王であったと言われています。
仏教におけるシャンバラ
仏教では「カーラチャクラ・タントラ(時輪タントラ)」という教典において、ヒンドゥー教の「カルキが統治したシャンバラ」を取り入れたと思われる記述が残されていますが、その内容は仏教寄りになっています。
カルキが仏教の教えを説いて「金剛のカースト」に統一し、元のカースト制度が解消されるというのです。
その結果仏教におけるシャンバラは理想の「仏教」王国という位置づけになっています。
チベット仏教におけるシャンバラ
仏教の「カーラチャクラ・タントラ」はチベット仏教に受け継がれました。
ダライ・ラマ14世はシャンバラを「カルマと徳が熟した者だけがたどり着ける場所」とし、「この世に実在する世界である」と断言しました。
その考えを受けてチベットの僧侶はシャンバラをあの世ではなく「現実のもの、この世界のどこかに実在するもの」としています。
シャンバラはどこにある?
チベット人が考えるシャンバラの場所
「カーラチャクラ・タントラ」によるとシャンバラはシーター河の北岸にあると書かれていますが、シーター河の位置は不明で中央アジアのどこかにあるとされています。
また、仏教の始祖であるブッダは「シャンバラは雪と氷に閉ざされた北の果てにある」と言い残しました。
ロシアにはチベット仏教の霊峰である「アルハナイ山」という山があり、東シベリアのチタ地方というところに位置しています。
そこに人間界とシャンバラを結ぶ道があるという伝説が残っています。
チベットの人々はそのブッダの言葉や霊峰「アルハナイ山」の伝説にあるように、シベリアあたりの北の国にシャンバラがあると考えている人が多いようです。
ヨーロッパの人々が考えるシャンバラの場所
チベットのポタラ宮は高位の僧侶であるダライ・ラマの宮殿であり、同時に墓所でもあります。
そこが地下都市シャンバラの入口とされ、僧侶たちはそこを守っていると言われていますが、これはあくまでもチベット人以外の考え方のようです。
この理由については、17世紀のイエズス会の布教活動が発端となっています。
イエズス会はシャンバラの伝説を紹介し、そこから「チベットが究極の聖地である」という考え方がヨーロッパ中に広まりました。
そのため、シャンバラ自体がチベットにあるものとされるようになったのです。
さらに時代が進み、伝説は神秘家たちにより形を変えていくことになります。その一つが「地底世界アガルタ」の伝説です。
シャンバラは「地底世界アガルタ」の首都?
伝説上の地底都市について、シャンバラの他に「アガルタ」というものがあります。
その所在についてはやはり諸説あり、アジアのどこかにあるという説の他、スリランカでは「地球の中心にある」とも言われています。
シャンバラはこのアガルタの首都であるという話もあるのです。
19世紀フランスの神秘家であるダルベドールが、アガルタの伝説とシャンバラを結び付けたと言われています。
これによってシャンバラが「チベット」の「地下」にあるという伝説がヨーロッパに定着していきました。
地球空洞説とシャンバラ
17世紀、イギリスの天文学者エドモンド・ハレーが「地球空洞説」というものを発表しました。
「地球の中身が空洞である、または別世界につながっている」という説です。
科学的根拠がない説ではありますが、その後地底世界アガルタの伝説と結びつき、人々は未知の地下世界にその可能性を見出していったと言えます。
シャンバラを探し求める人々が「これだけ探しても見つからない、もしかしたら地下にあるのではないか」と考えるようになったのも、当時の神秘主義の考え方からすると自然な流れではないでしょうか。
著者
現在も地球の内部については謎が多く、調査中であるというのが現状です。
「カーラチャクラ・マンダラ」とアガルタの関連
「カーラチャクラ・タントラ」を元に描かれた「カーラチャクラ・マンダラ」という図があります。
球形の四方に入り口があり、内部に王国・中心には太陽があると思われるマンダラです。
まるで王国シャンバラが地球内部にあるかのような図のようにも見えてきます。
著者
実際このマンダラと地底世界アガルタの絵はよく似ていて、それを指摘している人もいるのです。
シャンバラへたどり着いた人物はいるのか?
理想郷シャンバラを探し求めて多くの冒険家や学者が旅に出ていますが、実際に行ったことがある人はほとんどいないと言われています。
そのような状況で、シャンバラにたどり着いたのではないかと言われている数少ない人物たちをご紹介します。
ニコライ・コンスタンティノヴィチ・リョーリフ(ニコライ・レーリッヒ)
ロシアの画家・哲学者で、シャンバラを追い求めた人物の一人です。
彼がチベットの奥地を探検していた時、ヒマラヤの山中で美しく光り輝く法衣に身を包んだ僧侶に出会いました。
チベットの僧侶たちにその話をすると「もしかしたらシャンバラから来た僧侶かもしれない」という答えが返ってきたそうです。
また、彼は探検の野営中に忽然と姿を消したと思ったら翌日の午後に突然現れて、探検隊の案内役をしていたポーターたちに「シャンバラに至ったのではないか」と驚かれました。
他にも未確認飛行物体を見たなど数々のエピソードがあり、最もシャンバラに近づいた・または至った可能性が高い人物と言われています。
リチャード・バード少将
アメリカの極地探検の総責任者で、「ハイジャンプ作戦」という両極の大規模な調査を行いました。
バード少将自らが搭乗した北極点上空で突然白い霧に包まれ、視界が晴れた瞬間に古代都市の上空を飛んでいるという体験をしたと言われています。
Uターンし霧の中へ機体を進ませると元の世界に戻ることができたのですが、別の南極探検の時にもまた、同じように異世界に行くという体験をしました。
しかしその記録はすべて最高機密として没収され、闇に葬られてしまったのです。
あの人物もシャンバラを探し求めていた
独裁者ヒトラーがオカルトに興味を持っていたのは有名な話で、ナチスドイツにもその研究を行う機関がありました。
「アーリア人が最上の人種である」という思想を掲げたヒトラーはシャンバラに興味を持ち、アーリア人の起源がシャンバラにあるという考えに至ったのです。
そのため、ナチスドイツの超科学局である「アーネンエルベ」にチベットを始め最終的には様々な地域の調査をさせましたが、結局シャンバラは見つかりませんでした。
チベットの僧侶たちはそのアーネンエルベと手を組んでいた可能性が高いという説があります。
戦後のベルリンでチベットの僧侶の遺体が多数見つかっているためです。
まとめ
シャンバラへの入口は他にも南極や北極、ブラジルや中央アジアなどにあるとする説もあります。
なんと日本でも「奈良の三輪神社」や「六甲山」に入口がある、という伝説が残っているのです。
そんな謎に包まれたシャンバラですが、実在について言及する人が後を絶ちません。
シャンバラが語り継がれているのは、その存在を信じている人たちが今でも多いからかもしれませんね。