伝説の陰陽師!安倍晴明の数々の逸話からその人物像を探ってみよう!

時は、延喜21年(西暦921年)摂津国阿倍野、(現在の大阪府阿倍野区)に1人の男の子が誕生し、白蛇の母を持つと伝えられ、後に陰陽道としての地位を確立することなる。
その人物こそ安倍晴明!
安倍晴明は、没後1000年以上経った今でも、映画や書物によって多くの人に知られている。
多くの伝説と、謎を残した彼の人物像に迫る!
チョット大袈裟すぎない?
レベッカ
不思議な力を持つと言われている安倍晴明の事なので、つい熱くなっちゃったよ!
著者
フィギュアスケートの羽生弓弦選手が、フリーのプログラムで選んだ曲が「SEIMEI」だった事もあり、その名前を知っている方も多いのではないでしょうか?
しかし、彼が一体何をした人なのか、陰陽師とは何かという事はよくわからない方もいらっしゃると思います。
そこで、安倍晴明の人物像について調べてみましたのでご覧ください。
著者
安倍晴明はどんな人?
平安時代に活躍した安倍晴明は、多くの逸話を残しています。
その逸話の多くは、不思議力によるもので現代の科学では解明する事が難しいので、逸話として今も語られるのでしょう。
安倍晴明についての謎は、生まれた時から始まっています。
安倍晴明の経歴
出生の謎
冒頭に書いたように、晴明は延喜21年に摂津国阿倍野で生まれたとされていますが、出生地については3つの説があります。
- 大阪説
- 讃岐説
- 茨城説
この中で一番可能性が高いのが大阪説です。
その根拠が葛の葉伝説にあると言われています。
葛の葉伝説とは?
村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物とされる)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける。
(引用:Wikipedia)
人間と狐のハーフなの?
レベッカ
簡単に言ってしまえばそうだね!
著者
晴明の出生地や両親に関しては色々な説がありますが、白狐を母親に持つと言われれば生まれながらにして、不思議な力を持っていたと想像は膨らむのではないでしょうか?
そして、晴明の父とされる安倍保名が陰陽師の第一人者だったことから、陰陽道を学んだとされています。
ここから40歳になるまでの、安倍晴明の記録はほとんどありません!
40年間の彼の生き方がわからないというのも、安倍晴明を神秘的な人物とした理由なのかもしれませんね。
40歳で陰陽寮へ
安倍晴明は40歳で天文学を学ぶ学生でした。
陰陽寮というのは、今で言うと文部科学省のような国の機関で、そこで働く人を陰陽師と呼んでいました。
えっ!陰陽師って公務員だったの?
レベッカ
驚かれる方も多いかと思いますが、当時の陰陽寮は博士や学生も在籍する教育機関でもあったようです。
ここで、安倍晴明は国家公務員として、占いや天文、暦や時間などを書物にまとめる編集のような仕事をしていたとされています。
また、天文の観測をする学生でもありました。
40歳で学生とは、随分出世が遅いね。
著者
今でこそ、陰陽師として有名な安倍晴明ですが、陰陽師になったのは50歳に近かったようです。
陰陽師になった安倍晴明
出世こそ遅かった晴明ですが、もともと霊的な力を持っていたので、陰陽道の知識や術を身に付けるのは早かったとされています。
そして、天文博士という役職にも就き、陰陽寮の中でもトップクラスの陰陽頭になりました。
晴明が陰陽師になってからの活躍は、記録としても多く残っています。
その代表的な事とを2つご紹介しましょう!
- 993年
一条天皇が病気になった時、晴明がお祓いをしたところ、すぐに回復した。 - 1004年
干ばつから都を守る為に、雨乞いをして雨を降らせた。
このように見ると、晴明は人を不幸にするために術を使うのではなく、人を救う為に陰陽師として力を尽くしていたのではないでしょうか?
更に、安倍晴明はたくさんの術を作り、それらの術は現在の私たちの生活の中にも残っています。
安倍晴明の数々の逸話とは?
歴史上の人物の中でも、安倍晴明の資料はとても少ないので、人物像についてはわかっていません。
それでも、「今昔物語集」や「平家物語」などの平安文学には安倍晴明の逸話は多く記載されています。
例えば!
- 晴明が幼いころ、夜道に鬼が見えたので事がきっかけで、陰陽道を学ぶことになった。
- 平安中期の武将、渡辺綱が鬼に化けた橋姫の腕を切り落としたので、晴明が橋姫を封印した。
橋姫って誰なの?
レベッカ
橋の女神「橋姫」の一柱で、京都府宇治川に祀られる。 元は貴族の子女だったが、嫉妬から貴船神社に詣でて呪術に邁進し、その果てに生きたまま鬼に堕ちた。 その後、頼光四天王・渡辺綱に腕を斬られて鎮まり、宇治橋の袂の神社に御霊奉神された。 宇治の橋姫の呪術は「丑の刻参り」の原型とされる。
(引用:ピクシブ百科事典)
- 誰も居ないのに、晴明の屋敷の扉が開閉する。
この屋敷が現在の京都晴明神社である。 - 皇太子であった花山天皇の命令で、天狗を封じたことから一条天皇や藤原道長からの信頼も得る。
- 藤原道長の命を眼力で救った。
- 在原兼平の家に結界を張って、火災から守った。
- 家では、霊的な存在の鬼神に家事をさせていた。
式神とは鬼神や使役神のことで、私たち一般人には見えませんが、晴明は12もの式神を操っていたと言われています。
そのため、かつて晴明の屋敷跡だった現在の晴明神社の「四神門」は電動で開閉します。
安倍晴明の逸話の多くは、霊的な術を使ったものが多いので、占い師や霊媒師のイメージを持つ方が多いのでしょうね。
それでは、陰陽師とは一体何者なのか?そして私たちに何を残してくれたのかという謎に迫りましょう!
著者
陰陽師とは?
安倍晴明の逸話は多くのこされていますが、彼が目指した陰陽師とはどのような事をして、何を目指したのでしょうか?
陰陽師の仕事って?
平安時代では、天からのメッセージを地上の人々に伝える為に、陰陽道というものを使っていました。
陰陽道って?
レベッカ
陰陽道は、陰と陽の気と、木・火・土・金・水の陰陽五行説をもとに、様々な自然現象を解く学問だよ!
著者
朝廷内にある陰陽寮という役所で、天文博士として働いていた晴明は、天文現象から読み解いた結果を朝廷に報告する仕事をしていました。
これが陰陽師のお仕事だったのです!
陰陽師である安倍晴明は、天文学者としても優れていたので、人間世界と星の世界を結びつける人として、陰陽師としてカリスマ的な存在になったのでしょうね。
そして、国家公務員だった陰陽師のもう一つの大きな仕事が、天皇や武家を守る事が仕事でした。
天皇が住まわれる御所や、都を守ることは日本という国を守るために、安倍晴明やその子孫たちが作り出した術の基本になっている「結界」と呼ばれるものを張ったのです!
もともと結界は、神様の領域と私たちの領域を区切るものでした。
区切るという事から発展して、「区切って守る」となったとされています。
陰陽師は結界を張ることで、平安時代の日本と目に見えない不安に怯える人々の気持ちも、救おうとしていたのかもしれませんね。
今も残る結界の不思議
そもそも、結界ってなんだ?と思っている方にもわかりやすく説明しましょう!
著者
平安時代では、神様の領域と生きている人の領域を区切るというのが、結界と考えられていました。
そして、陰陽師が作り出した術の基本になっているのが結界と言われています。
でも、結界って見えないし今の私たちの生活には、そんなに関係があると思えないんだけど・・・
レベッカ
私たちの生活の中での結界は、気が付いていないだけで実は多く残っています。
その例としてはこちら!
- 玄関に盛塩をする
玄関からの邪気を入れないために、お清めのための塩で結界を張る。 - 箸置きで、箸を横に置く
昔は、手を付ける前の食べ物は、神様のものだと考えられていました。
そのため、箸置きで結界を張りけ箸を取り「いただきます」と言って、結界を外し口にしていました。
このように、占いやゲン担ぎのような非科学的なものは信じないという方でも、普通に生活の中に取り入れています。
その他にも、災害が起こっても神社だけは被害が少ない事や、台風直撃と予想されていたのに首都圏だけは直撃しなかった、などの不思議な現象はあります。
まあ、偶然だと言ってしまえばそれまでですがねえ~
著者
安倍晴明は陰陽道を通して、私たちの生活や私たちが住む国を守りたい!と願っていたのではないのでしょうか。
安倍晴明は陰陽師として、ちゃんとお仕事していたんだね!
レベッカ
晴明は享年85歳でこの世を去りました。
そのおよそ2年後の1007年に、晴明の功績を忍んだ一条天皇が晴明の屋敷跡に建立した晴明神社には、今も多くの人が参拝しています。
人々が安心して暮らせるようにという、陰陽師の思いは1000年以上経った今でも、私たちに受け継がれていると思いたいよね!
著者
まとめ
これらの逸話は、安倍晴明が亡くなった後に多く語られるようになったので、安倍晴明(陰陽師)=神秘的な存在になったのでしょう。
陰陽師が映画の題材のなったり、最近ではゲームまであります!
私自身は、占いとか風水は自分に良い事は信じるという程度です。
目に見えるものだけを信じ、科学的に証明出来ないものは信じられないというのも、間違いではないと思います。
ただ、本当に心が弱ってしまったときに神様に頼ってしまう事ってありませんか?
何を信じるかは人それぞれ違いますが、「平和に暮らしたい!」とか「少しでも生活を良くしたい!」という思いは安倍晴明も私たちと同じだったのではないでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございます。