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アレキサンダー大王の歴史とは?!その生涯(人生)に迫ってみた!

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アレキサンダー大王の歴史とは?!アレキサンダー大王の人生に迫る!
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こんにちは!

あなたは「吾輩の辞書に、不可能という文字はない!」という名言を残したナポレオンをご存じですか?

実はこの名言自体はナポレオンが最初に言ったのではありません。

「大英雄」と呼ばれているアレキサンダー大王の言葉なんですね。

アレキサンダーは英語読みになります。

  • ギリシャ語:アレクサンドロス大王あるいはアレクサンドロス3世
  • スペイン語:アレハンドロ
  • アラビア語:イスカンダル(これは”アル”を定冠詞(英語で言えば”the”と同じ)と勘違いしたため)

というように、呼ばれています。

国によってここまで呼び方が変わる人もいるんですね。

アレキサンダー大王はどういう人?

アレキサンダー大王の歴史とは?!アレキサンダー大王の人生に迫る!

アレキサンダー大王は、紀元前356年7月20日に生まれ、紀元前325年6月10日に32歳で亡くなっています。

アレキサンダー大王は父親はマケドニア王である「フィリッポス2世」、母親はエペイロスの王女「オリュンピアス」の長男です。

父親のフィリッポス2世はギリシャ世界を征服しバチカン半島で最強の国を作ります。

紀元前336年にペルシャ帝国を征服しようとした時にされたために、不意打ちに会い亡くなってしまいアレキサンダー大王は20歳でマケドニアの王になります。

父であるフィリッポス2世の遺志を継いでアレキサンダー大王は、紀元前334年に東方遠征(アジア遠征)をスタートさせます。

20歳でマケドニアの王になったアレキサンダー大王は、20代のあいだにエジプト王国・メソポタミア全土・インド地域を征服し、治めてるのよね。

レベッカ

すごい実力の持ち主だね。

著者

紀元前323年にバビロンでの祝宴で突然高熱を出して倒れ、数日間うなされた後に亡くなっています。

死因は毒なのか、蚊や虫による感染かは不明です。

一説には、不意打ちに会い亡くなったとも言われています。

また、アレキサンダー大王は死を感じとったのか「最強の者が帝国を継承よ」と、遺言を残しています。

アレキサンダー大王の遺言で、ディアドコイ戦争(部下たちの後継者争い)が起きてしまい、争いに巻き込まれたり不意打ちに会い亡くなったりして王族は全滅し、アレキサンダー大王の血を引く者は誰一人いなくなってしまいます。

アレキサンダー大王は、自分勝手な振る舞いをしたり権力を振りかざしたりすることのない人物でした。

またアレキサンダー大王は、発想力が豊かで正直な人物で、人に対して尊敬の気持ちを忘れない心の広い王様でした。

1頭の羊に率いられたライオンの群れを恐れない。しかし、1頭のライオンに率いられた羊の群れを恐れる

とアレキサンダー大王は言っています。

これは、「有能なリーダーは民衆に大きな力を発揮させることができる」という意味で、ナポレオンも使っていた有名な言葉です。

奥さんは、ロクサネ・スタテイラ2世・パリュサティス2世の3人もいるんだよ!

一夫多妻だったんだね。

バケオ

そうなのよ。うらやましい?笑

子供は、アレクサンドロス4世(母:ロクサネ)・アエソフィア(スタテイラ2世)・ヘラクレス(側室バルシネ)の3人よ。

レベッカ

アレキサンダー大王の親友ファイスティオンとは

アレキサンダー大王の親友にファイスティオンという人物がいます。

ファイスティオンは、アレキサンダー大王が13歳の時に哲学者アリストテレスから一緒に学問を学んだ時代からの友人で唯一無二の親友だと公言しています。

アレキサンダー大王は、哲学者アリストテレスの弟子でだったんだよ。

父から生を受け、アリストテレスからは良き生を受けた」と言ってるんだよ。

著者

アレキサンダー大王がアリストテレスのことを慕っていた気持ちがわかるわね。

レベッカ

ファイスティオンはアリストテレスから学問を学んでいる時、格闘などの実技ではアレキサンダー大王よりも優秀だったようです。

だからなのでしょう、ファイスティオンはアレキサンダー大王が王位についた時には、側近護衛官になっています。

 

ギリシャ神話に出てくるインドの先にある世界の果て「オケアノス」に到達するということは、ギリシャ世界の盟主めいしゅのアキレウスの生まれ変わりと信じていたアレキサンダー大王の悲願でした。

アレキサンダー大王の時代のギリシャ人のとってギリシャ神話は、神話ではなくアイデンティティあふれる歴史そのものでした。

ギリシャ神話のなかの英雄であるアキレウスは、親友のパトロクロスをトロイヤ戦争で死亡させたヘクトルを、生きたまま馬車で引きずり回し全身ボロボロにして死亡させています。

自分はアキレウスの生まれ変わりだと信じていたアレキサンダー大王は、幼い頃からへファイスティオンに「お前はパトロクロスだの生まれ変わりだ」と言っていました。

トロイの遺跡を訪れた時には、アキレウスの墓に花冠はなかんむりをアレキサンダー大王が、パトロクロスの墓にへファイスティオンが花冠をささげています。

アレキサンダー大王の歴史とは?!アレキサンダー大王の人生に迫る!

紀元前324年、スーサで現地のペルシャ人女性とマケドニアの兵士が合同結婚式をしています。

この合同結婚式で、アレキサンダー大王は、ダイオレス3世の娘スタテイラ2世を2人目の奥さんとして結婚しています。

へファイスティオンは、スタテイラ2世の妹ドリュペティスと結婚しています。

へファイスティオンは、この時にアレキサンダー帝国の宰相さいしょう(総理大臣・首相)の地位を手に入れています。

へファイスティオンは、結婚して間もなく病死してしまいました。

唯一無二の親友であるヘファスティオンを失ったアレキサンダー大王の悲しみは沼のように深く、行動は今までと違い精彩さや冷静さを失っていきます。

この時代の結婚は、現在と違って外見の美しさ、子供を産めるかどうかということを重要視しているので、言葉が通じないことは当たり前のことでした。

なので、辛い時や疲れている時などに慰めたり癒したりということは、言葉が通じないためほとんどできませんでした。

ですので、アレキサンダー大王の悲しみを癒しててくれるような人は、周りには誰一人いませんでした。

アレキサンダー大王の逸話

アレキサンダー大王の歴史とは?!アレキサンダー大王の人生に迫る!

アレキサンダー大王にはさまざまな逸話が存在します。

そのうちのいくつかを、お話していきます。

ブーケファラスという愛馬

アレキサンダー大王がまだ少年のころブーケファラスという誰も乗りこなせないほど気性の荒い馬を商人が売りに来たました。

誰も乗りこなせないなら、馬を買うことは無理だということになった時に、アレキサンダー大王が

腕前と勇気がなくて乗りこなせないばかりに、何という名馬を失うことか!

とブーケファラスを観察し始めたのです。

アレキサンダー大王は、ブーケファラスが自分の動く影におびえていることに気づき、太陽に頭を向けるとブーケファラスは落ち着きました。

そしてアレキサンダー大王はブーケファラスを上手に乗りこなして見せたのです。

それからブーケファラスはアレキサンダー大王の愛馬となり、いつも一緒に戦いました。

紀元前326年にブーケファラスがインドで死でしまった時、「ブーケファラ」という都市を造り愛馬の死を悼みました。

親友と間違われても怒らなかった

イッソスの戦いでアレキサンダー大王がペルシャ王ダレイオス3世に勝ちました。

ダレイオス3世はすべてを投げ出し逃げてしまいます。

酷い男ね。

親も奥さんも見捨てていくなんて。

レベッカ

アレキサンダー大王は捕虜にした王族を、丁寧に扱っていました。

アレキサンダー大王が親友へファイスティオンと一緒に捕虜にした王族と会った時、ダイオレス3世の母親はアレキサンダー大王の顔がわかりませんでした。

ダイオレス3世の母親は、身体が大きく美しいへファイスティオンをアレキサンダー大王だと思い込み、へファイスティオンの前にひれ伏しました。

自分の間違いに気づいたダイオレス3世の母親は、アレキサンダー大王に一生懸命謝りました。

アレキサンダー大王はダイオレス3世の母親に「あなたはお間違いになったのではない。彼もまたアレキサンダーなのだから。」と言い、その後もペルシャ王族を慈悲深く丁寧に取り扱いました。

エジプトにアレクサンドリアを造った

アレキサンダー大王の歴史とは?!アレキサンダー大王の人生に迫る!

アレキサンダー大王はたくさんの都市を造ったのですが、その中でも「アレクサンドリア」が有名ですね。

アレクサンドリアは紀元前332年アレキサンダー大王が「この土地は都市にするにはちょうど良い」と考えて、自ら図面を引いて作った都市です。

アレクサンドリアはプレオマイオス朝の首都として繁栄し、現在はエジプトの第二の都市として栄えています。

王宮を燃やす

アレキサンダー大王は、紀元前330年ペルシャのペルセポリスを征服しました。

ペルシャの伝統を重く感じていたアレキサンダー大王はペルシャ人を味方にしたいと考えましたが、思うようにいきませんでした。

アレキサンダー大王は自分を新しい王だとわからせるために、ペルセポリスの王宮を燃やしたのです。

アレキサンダー大王は、このことを後になって恥じたそうですが、感情に任せて火をつけたのか、冷静な判断のもと火をつけたのかはわかっていません。

日本もアレキサンダー大王の影響を受けている

「アレキサンダー大王」のアラビア語では「イスカンダル」です。

これを中国語にしたものを変形させた言葉が「韋駄天いだてん」になります。

「韋駄天」と呼ばれる神様が、あちこちを走り回り仏様の食事を集めてきていたことから「馳走ちそう」という言葉ができました。

この馳走という言葉に「ご」と「様」を付けた言葉が「ご馳走様ごちそうさま」になったと言われてるんだ。

著者

毎日ご飯の時に言ってるけど、アレキサンダー大王から来てるのね。

レベッカ

乳兄弟をやりで刺した

アレキサンダー大王の東征服が進んでいくと、ペルシャ人の側近が増えていきました。

マケドニア貴族の不満はペルシャ人の側近が増えたことでした。

乳兄弟で親友でもあるクレイトスが「アレキサンダー大王は、ペルシャ式の専制君主に成り果ててしまった」と言ったことに対して、アレキサンダー大王は怒り狂い、槍でクレイトスを刺すのです。

その結果、クレイトスは亡くなってしまいました。

アレキサンダー大王は、自分が手をかけて友のクレイトスを亡くしていまったと言って後悔していました。

そりゃ後悔するよね。。

バケオ

ゴルディオンの結び目

アレキサンダー大王は、紀元前333年に小アジアのゴルディオンの城塞じょうさいに向かいます。

城塞には1台の古い戦車が奉納されていました。

戦車は樹皮で作った縄で絡み合った複雑な結び目がありました。

ゴルディオンでは「この結び目を解いた者がアジアの王者になる」という伝説がありました。

アレキサンダー大王は、剣で一刀両断にし「運命とは伝説によってもたらされるものではなく、自らの剣によって切り開くものである」と兵士たちに話しています。

ヘレニズム文明の成立

アレキサンダー大王は、征服した各地に「アレクサンドリア」と名付けた都市を造り、マケドニア人(ギリシャ人)を移住させているんです。

ペルシャ人も重要な地位に置いたので、ギリシャ文明とオリエント文明を合わさった文化を「ヘレニズム文明」といいます。

ヘレニズム文明は後世に大きな影響を与えたと言われている文明です。

主なものに、貨幣経済の発展・東西の交通・ギリシャ語を共通語にする、などがあげられます。

まとめ

私は、アレキサンダー大王は「戦争と征服」に生きた人物だと思っていました。

しかし、いろいろ調べているうちに、もしかして寂しい人なのかもと思う部分が多々ありました。

兵士からの信頼は厚く、知性もあり行動力もある英雄です。

アレキサンダー大王の功績は素晴らしいと思います。

けれども、心を開いて話せる人はほとんどいなかったのでは…と思うのです。

奥様も言葉が通じない、親友と呼べる人は少なく早くに亡くなっています。

人は何かを手に入れる代わりに、何かを手放すものなのかなと感じてしまいました。

「天は二物を与えず」というのは、こういうことなのかもと思ってしまいました。

アレキサンダー大王の石碑のようなものは存在していません。

アレキサンダー大王自身が作らないように指示したと言われています。

世界を征服したとしても、死んでしまったら何も残らないということを、部下たちに示したかったからです。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

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