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レオナルドダヴィンチが万能の天才と呼ばれた理由。秘めた多くの才能とは?

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おそらく現代でも名前を知らない人はいないであろう、レオナルドダヴィンチ。

彼が描いた「最後の晩餐」「モナ・リザ」のイメージから絵師として有名な人物だと思われがちですが、彼は絵画以外にも非常に様々な分野に手を出し、そして功績を残してきたとんでもない人間だったりします。

器用貧乏とは恐れ多くも言えない、万能の天才と呼ばれたレオナルドダヴィンチ。

今回は彼について書いていこうと思います。

“天才”レナルドダヴィンチの生い立ち

レオナルドダヴィンチは、1452年生まれの享年67歳。

イタリアに存在していた「フィレンチェ共和国」から20km離れたヴィンチ村にて生まれました。非摘出子だった為か正当な教育を受けられなかったらしく、自由奔放な性格で自然と共に暮らしていたそうです。

レオナルドダヴィンチは「万能人」として非常に有名な人物で、器用貧乏という言葉では留まらない様々な分野に特化しています。

そうなった理由として非常に強い知識欲が挙げられており、それはこの幼少期にしっかりとした教育を受けられなかった反動と言われていますね。

そして1466年、当時フィレンチェ共和国で最も優れた工房を持つ画家、ヴェロッキオに弟子入りし絵の修行をすることに。そこから、彼の多彩な才能が開花する幕開けとなるのでした。

※結婚していない男女から生まれた子供

“天才”レオナルドダヴィンチの数々の才能

前述した通り、レオナルドダヴィンチはとてもたくさんの分野に特化しており、「万能人」として人々に認知されています。

その才能の一つ一つをこれから書いていこうと思います!

絵画の才

1466年、先で書いた通りレオナルドダヴィンチはヴェロッキオに弟子入りします。

ヴェロッキオの修行はまず床の掃除などの雑用から始まり、工房へ依頼された絵画の手伝いを繰り返して一定の技術に達したところで、ようやく自分で絵を描くことが許されるのです。

他の弟子たちが長い年月をかけてその領域に達するのに対して、レオナルドダヴィンチは、たった6年後の20歳前後に一人で絵画を描くことを許されていました。

そして「天使の洗礼」という絵画の天使の一人を描くことを任されたのですが、その描かれた天使を見たヴェロッキオは自分より色の使い方が優れていることが分かり、絵筆を折って二度と絵を描くことは無かったとする逸話があります。

うわあ…。弟子が自分より優れているということがすごいショックだったんだろうなあ

バケオ

でも自分の弟子からそんな才能を持った人が生まれたわけだから、心の奥底はやっぱり嬉しかったんじゃないかなとも思うよ。…全部想像でしかないけどね

著者

その後、工房での絵画はレオナルドダヴィンチに任せ、ヴェロッキオは彫刻の分野に専念したと言われており、このエピソードから見てもレオナルドがどれだけ絵画の才に溢れていたかがうかがえますね。

そして1472年にその修行を終え、1480年頃にはミラノへその身を移します。

※一説では「絵筆を折った」のくだりは後に作られた創作と言われています

軍事、建築の才

レオナルドダヴィンチはミラノへ渡る際、当時のミラノ公が芸術への関心があまり無かったことから、自分をアピールする手紙の経歴に「軍事技術者である」と嘘を書いて関心を引き、最後におまけ程度に絵画と書いていたそうです。

その甲斐あってかレオナルドはミラノで仕事をすることが出来たのですが、1499年に起こった第二次イタリア戦争の煽りを受けてミラノからヴェネツィアへ逃亡。そこで彼は軍事技術者として雇われます。

その際、都市イーモラへ要塞を建築する開発計画の為に、都市の地図を作ることを命じられました。

絵画の知識だけでは到底こなせない仕事でしたが、レオナルドはイーモラの街を練り歩いて無事地図を作成。調べると分かるのですが現在の風景で見比べてもかなり正確だとわかる地図なので驚きです。

日本中を渡り歩いて日本地図を書き記した伊能忠敬に通じるものがあるわね…

レベッカ

このことから測量の才もあったことが分かるね。どれだけ多才なんだとそろそろ突っ込みたくなるよ

著者

そういった功績もあってか、そのまま土木技術に特化した軍事技術者に任命され、戦略的に価値のある地図を始め様々な軍事兵器のアイデアを書き留めていました。

アイデアの中には飛行船、戦車、ヘリコプターやパラシュートの原型など、銃や大砲が戦争兵器の中心だった時代ではとても考えられないような数々の発明品を考えていったそうです。

特にレオナルドは空に対する憧れが強かったようで、空に関連した発明のアイデアが多く見られます。

また、ミラノに滞在していた頃には水路の開発にも携わっており、その万能さに驚かされますね。

音楽、演出家の才

時は遡りミラノ滞在時。軍事技術者とアピールしてミラノで仕事をすることになったレオナルドダヴィンチですが、ミラノでの活動はやはり絵画をはじめ、音楽や演出家など芸術の方面でした。

音楽方面では路上でリュートの弾き語りをして「美しい声の持ち主」と言われたり、歌や演奏方面では飽き足らず数々の楽器を開発してしまうなど、これまた多彩な活躍を見せつけます。

また祝祭の演出家としても名をはせており、ミラノ権力者の身内の婚姻式を、舞台やダンス、劇などを用いて多いに盛り上げるなど非常に重要な祝祭を取り仕切っていました。

その内容は、まずこれから演じる劇の内容を口上役が簡単に説明し、劇を披露。そして花嫁の参加するダンスが様々な楽器で彩りながら展開される。

そして最後にクライマックスを彩る芝居が披露され、婚儀がなされるという非常に華やかな構成です。

こうして口上役が存在する形式は16世紀フランスの宮廷バレエにも受け継がれており、レオナルドダヴィンチの演出としての才が確かなものだという証明でもありますね。

解剖学の才

レオナルドダヴィンチはヴェロッキオの下で絵画の修行をしていた際、人体の正確な構造を把握し絵に昇華させるために人体の解剖実習を行っていました。

それは本物の骨格や筋肉を目にすることで絵の上達を目指すものだったのですが、その際にレオナルドは、それを超えた先である内臓器官の仕組みといったものに医学的好奇心を持ちます。

そうしてレオナルドダヴィンチは1489年頃から人体の骨や筋肉、内臓器官のスケッチを書き記していくことになるのですが、それは今まで世に広まっているどの医学書よりも正確で素晴らしいものでした。

生憎そのスケッチをレオナルドは最後まで世に出さず、当時の歴史からは葬り去られることになるのですが、彼がそういった医学書を発刊していたならば彼が「人体解剖学の祖」となっていたとさえ言われています。

ひえー、なんだかもったいない話だね

バケオ

彼にとってそういった名誉や功績は特に重要なものではなかったのかもしれないわね

レベッカ

まとめ

あくなき知識欲、誰よりも強い好奇心で様々な才能を開花させてきたレオナルドダヴィンチ。いかがだったでしょうか?

前述したもの以外にも、哲学、発生学、数学、幾何学、天文学…と書ききれない分野に手を出しかつ功績を残してきています。

彼のようなとても優れた人間になることは非常に難しいものですが、少しでも近づけるように頑張りたいものですね。

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