邪馬台国はどこに存在していたのか?!九州説について徹底調査!

こんにちは!
みなさんは、邪馬台国って覚えてますか?
小学校の社会の中国の歴史で習ったと私は記憶してるんですが(汗)
意外なことに「邪馬台国」は日本史には存在しないんだよ!!
バケオ
中国の「魏書」に2000文字書かれているだけなんだからね。
著者
しかし、邪馬台国は日本各地で「ここに邪馬台国はあったんだ!」と言われています。
日本古代3世紀に邪馬台国が、どこに存在したのかと言われている中で有力な候補として「九州説」と「畿内説」があります。
「畿内説」は近畿地方や関西圏に邪馬台国が存在したのではないかと推測されている説のことです。
2009年に、奈良の神体山として信仰を集めている三輪山のふもとにある「纏向遺跡」から、位の高い人たちが住んでいたのではないかと思われる大型の建物の遺跡が発見されました。
この地域には「箸墓古墳」や「纏向石塚古墳」などが集中し、都市集落ができています。
これって、すごい発見よね!
レベッカ
だから、邪馬台国は奈良にあったのではないかという説が出てきてるんだよ。
著者
このことから、「九州説」「畿内説」と研究者たちが熱い論争を繰り広げています。
Contents
邪馬台国とは?
弥生時代の後期に日本にあったとされている国です。
紀元前300年~西暦300年の約600年の間、栄えていました。
当時日本は「倭国」と呼ばれていて、いくつかの国がありました。
邪馬台国はそのうちのひとつですが、力が強く30ほどの国を支配していました。
当初邪馬台国は、男の王が治めていました。
しかし、争いが絶えず、戦い疲れたそれぞれの勢力がある女性を王としました。
その女性が「卑弥呼」です。
卑弥呼はどんな人?
卑弥呼は謎の多い女性です。
西暦180年~248年頃の間、邪馬台国の女王として君臨していました。
卑弥呼は巫女(シャーマン)と呼ばれ、トランス状態になることができ超自然的存在(霊、神霊、精霊、死霊など)と交信することができました。
また、卑弥呼は巫女の力を使って、天災や戦争を占いながら政治をし、弟が卑弥呼の補佐をしていました。
1000人の侍女が卑弥呼の世話をしていたというのですから、相当な権力者だったのでしょう。
しかし、当の卑弥呼はと言えば、部屋に引きこもり食事を運んだり、卑弥呼の言葉を伝えていたのは弟でした。
1000人の侍女はなにをしていたのか、私にはそっちの方が気になります(笑)
実際、卑弥呼が中国・後漢に貢物をし皇帝が恩恵として返礼品を授けています。
- 漢倭奴国王の金紫印
- 「親魏倭王」の封号
- 銅鏡100枚(卑弥呼の鏡)
これだけの返礼品を受け取ることができるというのは相当な回数と良品を、卑弥呼が中国・後漢に貢物をしたということになりますね。
西暦247年頃に、邪馬台国は当時敵対国であった狗奴国と争いが起こります。
卑弥呼は邪馬台国と狗奴国の決着を見ることなく亡くなってしまいます。
卑弥呼が亡くなり、そのお墓には100人余りの殉葬者がいたと言われています。
気になった方は、下記の記事も読んでみてください。
邪馬台国はどこにあった?!
実際に、魏の使者が邪馬台国に行ったのかどうか怪しいという研究者もいます。
なかには、防衛上の理由で本当のことを書くわけないじゃないか!という研究者もいます。
邪馬台国を距離で考えると
魏志倭人伝には、邪馬台国までの距離や近隣諸国との位置関係が書かれています。帯方郡から倭国に至るには、水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で〔倭の〕北岸の狗邪韓国に到着する。
始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。
また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。
東南に陸行し、500里で伊都国に到着する。
東南に100里進むと奴国に至る。
東へ100里行くと、不弥国に至る。
南へ水行20日で、投馬国に至る。
南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。(引用:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』抜粋)
そのままで考えると邪馬台国は奴国(現在の福岡県辺り)の南になるので、博多の東南か東南東になってしまい邪馬台国は海の上になってしまうのです。
魏志倭人伝では実際よりも南北の軸は5~60度、西にずれています。
ずれていることを踏まえて考えてみると、不弥国(日本列島に存在したと言われている国)から邪馬台国までは1300里です。
不弥国を中心に円を書くと半径1300里以内に九州が入っています。
不弥国の南側に邪馬台国があり、不弥国が九州に存在していたことは大和論者も一致しています。
ということは、邪馬台国は九州にあったことになるよね。
バケオ
魏志倭人伝には、邪馬台国は「気候は温暖、会稽と東治(今の中国河南地方・東シナ海に面している)の東」とも書かれています。
邪馬台国が九州にあったなら合致します。
邪馬台国を方角や日数で考えると
不弥国から宝満川・筑後川・宇佐川の河川と陸で邪馬台国に着いたと書かれています。
というのも、海上なら魏志倭人伝では「又一海渡」となるはずが「水行」となっているため、海ではなく川を行ったというように解釈できます。
これらのことから、邪馬台国は大分県宇佐郡小向野地方ということになります。
この地域は、大和・ヤマト・山戸などと記されていたこともあります。
そして「女王国の東に千里余り海を渡ると又倭種(倭人)がいる」ともあります。
邪馬台国が宇佐郡なら、東は四国の伊予(現在の愛媛県)になります。
邪馬台国を土地の広さで考えると
魏志倭人伝には邪馬台国や近隣諸国の戸数も書いてあります。
- 邪馬台国:7万余戸
- 奴国:2万余戸
- 投馬国:5万余戸
これで見ると、邪馬台国がいかに大きい国であったのかがわかりますね。
そうすると、投馬国・邪馬台国の2つの国が山間の狭いところにあったとは考えにくいです。
邪馬台国は戸数があるので広い土地がないと、難しいわよね。
レベッカ
九州にある大きな平野と言えば、福岡平野・筑紫平野(有明海は干ばつだった)・熊本平野になります。
順番に当てはめていくと、
- 福岡平野→奴国
- 筑紫平野→投馬国
- 熊本平野→邪馬台国
ということになり、邪馬台国は熊本平野のどこかということになります。
遺跡で考えると
方保田東原遺跡
熊本県山鹿市に位置し、弥生時代から古墳時代の遺跡です。
集落の周りに最大幅8mの堀をめぐらせている環濠集落です。
また100戸以上の住居跡が見つかっていて、土器や鉄器を作っていたことがわかっています。
主な出土品は、石包丁形鉄器・巴形銅器・青銅鏡・鉄斧などがあります。
吉野ヶ里遺跡
佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがっていて、縄文・弥生・古墳時代の遺跡です。
魏志倭人伝に書かれている、宮室、城柵、樓觀が見つかっています。
他にも、土器・石器・鉄器・青銅器や勾玉・管玉・銅鏡・織物などの装飾品や祭祀に使われるものが見つかっています。
1998年には、九州で初めて銅鐸が発見されています。
平塚川添遺跡
筑紫平野の東の端近くで、現在の朝倉市西部にある沖野平野にある遺跡です。
魏志倭人伝に書かれている「宮室・城柵・樓觀」が見つかっている環濠集落が見つかっています。
そして、漢から贈られた「金印」も見つかっています。
他には、土器・鏡などの青銅製品・銅矛や、漁具・農具などの木製品が発見されています。
平原遺跡
福岡県糸島市に位置し、弥生時代後期の5つの墳丘墓のことです。
主な出土品は、大型内花文鏡を含む銅鏡40面・ガラス玉の装飾品・耳璫・素環頭大刀などです。
不思議なことに、本来なら大切に墓に埋葬されているはずの銅鏡はすべて割られていました。
また、副葬品には武器がほとんどなく鏡や装飾品が多いことから卑弥呼の墓ではないかとも言われています。
九州でさまざまな遺跡から鉄器が見つかっているんだね。
バケオ
そういえば、奈良からはあんまりみつかっていなわいね。
レベッカ
そう考えると、九州に邪馬台国はあったのかなって思っちゃうよね!
バケオ
邪馬台国が九州ではと言われる理由
邪馬台国が九州にあったと言われる理由が、魏志倭人伝の記述以外にもいくつかあります。
- 九州は大陸に近いことで、大陸の文化や風俗に触れることが多い
- 九州で発見されている遺跡などで、3世紀の北九州の目覚ましい繁栄がわかるため
- 古代の人口研究で、九州の縄文時代~弥生時代の人口密度が有明海沿岸~筑後川周辺に集中していること
- 江戸時代・明治時代でも福岡県より九州中部の方が人口が多いこと
- 古事記・日本書紀などの古代記録、神話や天皇家の神事に北九州の事跡が多いことや風俗と似通ったものが多いため
などがあげられます。
邪馬台国は「朱の王国」だった (文春新書) [ 蒲池 明弘 ]
まとめ
邪馬台国は第二次世界大戦で日本が負けてしまうまで、邪馬台国の存在自体を国民には秘密にされていました。
国民に秘密にされていたのは、邪馬台国の存在自体が皇国の歴史と何かしらの関係があったからではないでしょうか。
日本の歴史をたどる上で邪馬台国は大きな存在になると私は思うのですが、邪馬台国がどこに存在していたのかということは、今現在わかっていません。
いろんな発見や研究、考古学的な事も少しずつ解明されていますが、どこにも決定的な根拠がまだ見つかっていないんです。
卑弥呼の謎も少しずつ解明されていくと思います。
もともと考古学は好きだったのですが、いろいろ調べていくと未知の世界に足を踏み入れたような気がしました。
いつになるかわからないですが、邪馬台国があった地・卑弥呼が生きた地を知りたい、訪れたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。